ランタンの灯に

それははかなむべき事ではありません。
ただ、ふと鼻をかすめただけなのです。
火曜日の朝のことでした。
私はまだ中学生でありました。
火曜日はきらいな授業の多い日でした。
私は火曜日に休むことを、ひとつ習慣のようにしておりました。
朝、懇願して、母が電話をします。
今日は体調が悪いので云々。
あるいは、やがて陽がのぼりきったころ、
担任の先生から電話があるのです。
今日はどうしたの。
受話器を取った私は、もう、遅れて行かざるを得ません。
取らなければ、留守番電話。
普段見ないテレビ番組を見て。
プリンやヨーグルトを食べて。
ゲームをしたり本を読んだり。
少し後ろめたい気がした。
夕陽の頃には近所の女の子がプリントを届けに来て。
懐古のほとんどは憂鬱が占めているが、
ほんの少し幸福の香りがする。
それは煙草の煙のようにあわてて消えてしまうものだ。
だから私達は時々、その全てに幸福を見失ってしまうのだ。
明日の明るい夜もありました。
いつしか人は……。

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夕陽に追われて

今日は海岸沿いをドライブしました。
大好きなサザンを聴きながら。
そうして夕陽を見ました。
シャボン玉がぼくの目の前を横切りました。
子供が吹いているみたいです。
楽しそうな家族の声がしました。
美味しそうな煙が香って来ました。
それは波の音よりも憂鬱の気配がしました。
おやしろは誰よりも潮風を浴びて来たことでしょう。
ぼくは賽銭箱にそっと五円玉を投げ入れました。
夕陽はあっという間に沈むんですね。
赤らんだかと思うと、もう雲に隠れて。
ほんとうに、あっという間。
それで何も変わらぬ明日が来るんです。
ひょっとしたら変わっているのかも知れませんが、
ぼくには何も気付きません。
気付かずに、気付かずに、それで生きて来たんですから。
まだ、生きなければならないことは確かです。
だけど、もう、朝になって、目覚めるのが怖い気もします。
起きたらまた、パンをかじって、コーヒーをのんで、
そんな風に、ぼくの一日は始まるのでしょう。
途方もない。見当がつかない。
どうやって、生きて行けばよいのか。
不安になると、胸のあたりを切り開いて、掻きむしりたくなる。
もどかしい、ぬるい炎が、心の内にわだかまるのだ。
そのぼやぼやとした炎が、次第に上の方に上がって来て、
ぼくの瞳の奥を湿らすのだ。
逃げ出したい。とにかくもう。
ぼくはどこかで大きな失敗をしてしまったような気がする。

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ぼくたちの失敗

朝は、妙にすがすがしい。
まるで昨日の夜を全て洗い流すように。
ぼくは、だめな男です。飲み会のある度に、反省しています。
友人にも、云われました。
お前は酒を控えろ、と。
気の優しいひとばかりですので、にこにこして、何にも思っていないようで、実は、白い目で見られているにはちがいないのです。
恥ずかしく思っています。
何をどうやってしまったかと云うと、そういうことではなくて、ただ、ああいう風に酔っ払って、右も左も判らなくなるということが、人間、恥ずかしいのです。
過ぎた日のことを語っても仕方がありません。
ただ、この朝は、妙にすがすがしいのです。
静かで、真っ白で、誰もじっとしていて。
森田童子を聴く。石川達三を読む。

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元気ですか

ぼくは、元気です。それなりに、やっています。
それなりとしか、言いようがありません。
毎日、別段、楽しくもなく、とりわけ、苦しくもなく。
ただ、未来を考えたときの、わけのわからない大きな不安には、押し潰されそうです。ぼくは、ぼくの未来が、一番わからないのです。このまま生きて、どうなるのか、かといって、死ぬ勇気もなく、意味もなく、生きている。ぼくにはもう、夢なんてないし、はっきり言うと、安心より、不安の方が上回っているから、一日、一日、心をすりへらして生きているような感じです。
元気ですか。君の町には、紫陽花が咲いていますか。紫陽花の色は、みんなかなしい。ぼくは、ときどき、ほんの時々、思い出にすがっています。それだけは、どうか、許してください。ぼくには、思い出しかないのだから。
タツムリが、めっきり姿を見せなくなりました。もういなくなってしまったのでしょうか。どこにもいなくなってしまったのでしょうか。まるで、これまでぼくに関わった、全てのひとの心の中から、ぼくのことが消えてしまうように。始めからなかったことのように。
ぼくには、影がない。歩いても、歩いても、ぼくを映し出す光は、むなしいばかりで。歩いても、歩いても、ぼくは歩いていないのとおんなじだ。いつのまにか、ぼくは、思い出、例えば夏の日差しの中で、うだるほどのノスタルジアにやられて、懐古々々の放射能を浴びながら、或る感傷の病の中で死にゆくにちがいない。

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日暮れの雨のはかなさが、やがて聞かれなくなった頃、ぼくの恋するみどりが、頬を染める季節の訪れに、その淵に背を向けて立つぼくは、海の向こうに去ってゆく君の姿がまだ見えるような気がして、陽の沈むのを既に朝のはじまりのように思った。
安物買いの風鈴が、単調な音を立てるのが、むしろ少年時代への回帰のようで、ほころんで縁側に向い、赤と緑の三角帽は、噛み付くと水風船のように溶けて消える。空調もないぼくの部屋の、勉強机の上にひからびた、夏の友の表紙に描かれた抽象的な画は、地獄のようにも見えた。
ビーチサンダルをつっかけて家を飛び出すと、既に立ち止まれないほどの暑さの中を駆け抜けて、向いの友達の家の門をくぐった。戸を叩くより前に網戸越しに友達の呼びかける声が聞えて、ぼくは彼と彼の姉だけしかいない水色の家へ這入った。
ちょうど彼と彼の姉とが、借りて来たホラー映画のビデオを見始めたところだった。ぼくは怖くない振りをした。
彼の姉はアイスを買ってくると、いつの間にか出て行った。
暑さも盛り、窓もカーテンも締め切ってエアコンをものすごく低い温度でかけはじめた彼は王様のようだった。
それから彼は冷蔵庫の氷をペンギンのからくりに流し込んで、取っ手を掴むと思い切り回し始めた。ふたつの器に、白い鰹節のような山が出来た。ブルーハワイという訳の判らない味のシロップをかけると、その山は土砂崩れのように形を朧にした。
ぼくらが情緒ある頭痛と戦い終えた頃、彼の姉が帰ってきた。近所の駄菓子屋へ行ったみたいだ。好きなの選びなと広げた袋の中には、ぼくのお気に入りの知っとるケがあったので、まだ口の中はひんやりしていたぼくだけど、贅沢極まりなくその涼しさを口にした。
夏は何度も同じことを繰り返しているようで、その繰り返しはしかし、退屈のせいなんかじゃなかった。あの一日に勝る一日が、これまであっただろうか。既に完成された夏の一日だから、何度繰り返しても終りなんて望まなかったし、むしろ今日の終るのが残念で、明日のことなど考えず、しかし明日は明日で、何か必ず楽しいにちがいないという、得体のしれぬ安心があったのだ。思い返せば、ひとつ、あの時期のぼくは、夏休みという麻薬におかされていたにちがいないのだ。線香花火のように危うく、しかし、失う瞬間まで、輝く方ばかりに気を取られ、気付けば暗闇。

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夏祭りの片付け

綿菓子。無邪気な少年が頬張るのも似合う。健気な少女が持つのも絵になる。綿菓子は不思議だ。まるで雲みたい。どこから見たって、雲なのに、それなのに、子供が喜ぶ夢の味。砂糖の魔法。唇に絡みつきそうで、躊躇うけれど、あっけなく溶ける。溶けては物足りぬ。噛み付くのは道化のようだ。しかし舐めるのは明らかに違っている。やはり噛み付く他ない。何にもない宇宙を食べるように、上下の歯は互いに合わさる。口先でつまむのが正解だろうか。それはどこか、開花に近い。薄紅の花びらが、花粉を飛ばしながら咲き誇る。蜂が蜜を求めて漂う。折ってしまうのは簡単だが、指一本分の命ではないだろう。生かされることもまた才能である。柔らかいその体を、唇で千切るのだ。快楽はいつも、正しさの振りをする。善意の皮をかぶる。けれど、棒一本残して、ようやく気付くだろう。甘美は、闇の中からおいでおいでする、悪魔のやつが見せた幻覚だと。その幻覚を、一度も見たことのないやつは馬鹿にされ、うなされ続けている者は、お気の毒ねと心で手を合わせられる。正しく付き合って行くのは難儀だ。誰も口を挟めぬふたりの世界だから、綿菓子の食べ方ひとつ、ろくに知らない大人がいようと、それはそれでひとつの祭りの在り方なのだ。この夏祭りは永遠だ。荷積みの一輪車が這いずる先は、鳥居くぐって誰も知らない。ただ、ひとつの季節が過ぎ去るだけだと微笑む君の横で、昨日までが全てだったと、ぼくが泣いている。

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ぼくの心のサナトリウム

仲間がいた頃のことをぼくは時々思い出します。遠い夏の日のことを。
今のぼくは、孤独ではありません。家族とも仲が良いし、友達も幾らかいます。最近、また、友達が増えたんです。それは高校の頃の同級生です。
ぼくが或るきっかけで連絡を寄越したことから、度々会うようになりました。
高校の頃のぼくは、正直、何かにとらわれていました。何かと、戦っているみたいでした。上手に喋れませんでした。クラスの中心的な奴らも、話しかけてくることもありましたが、そんなとき、照れながら、二言、三言、返すだけで、今にしてみれば、なんて、恥ずかしい振る舞いをしていたことだろうと思います。
そんなぼくだけど、どうしてか、時を経ると、何も恐ろしいと思わなくなりました。高校時代は終ったから、もう、その土台の上に立っていないという、安心があるのでしょうか。なんでも、他人事みたいに、少し上手に付き合うことが出来るようになりました。
それでもぼくは、そんな彼らと、楽しげな輪の中に身を置きながら、ふと、かつてのことを思い出したりするのです。それは、二度と戻れない思い出達ですから、考えるだけ、憂鬱になるほかないのですが、それでも、考えてしまいます。それ以上に、思い出は、甘いのです。

ぼくはいつも近所の友達や、少し離れた家の友達もそうですが、時には、クラスメイトも混じったりして、いつだってひとに囲まれていました。団地の中でも、ぼくらのグループは、ひとつ台風の目のようでありました。それをぼくは、別段誇らしいとも思わず、当たり前の日常のように過していたのですから、今では、眩しくて仕方がありません。
ぼくには、特に仲の良い、幼馴染み、所謂、親友というやつでしょうか、ふたりおりました。ひとりは、年下でしたが、身体が大きく、面白くて、年の差など微塵も気にかけずに毎日毎日遊んでいました。飽きることはありませんでした。ぼくらは遊びの天才だったのです。それぞれが、少しずつ違った世界を持ち寄り、新鮮さは尽きることがありませんでした。時間が幾らあっても足りないような気がしていました。
そんなぼくらも、ぼくと、その内のひとりとが、中学に上がった頃から、縁遠くなり始めました。小学生という長い時代が、まさか終るとは思っていなかったぼくらは、中学という、社会の真似事のような、無理に殺伐を演じているような、そんな争いの中で、生きて行かなくてはならないと感じるようになりました。遊んでいるだけでは、どうにもならぬ、勉強や、恋愛や、風紀にとらわれた混沌の中で、戦い生き延びていかなければならないと。年下の彼とは、会う回数が減り、やがては、ぷつりと糸の切れたように、ぼくらは終りました。彼の声は、すっかり大人になっていることでしょう。
もうひとりの親友とも、彼が就職に際して、地元を離れるときに、ひとつ長い別れを告げなくてはならなくなりました。ぼくは、彼という大きな存在が、毎日一緒に過した彼が、いなくなる生活というものが、想像つきませんでした。小さい頃から、ずっと一緒にいて、どんなに楽しいときも、喧嘩した時も、夏休みも、冬休みも、雨の日も、嵐の日も、彼との思い出は圧倒的でした。ぼくは、その先の空虚を考えることは、無意味に自分を痛めつけることだと思って、やめました。絶望はやがて、ぼくのいちばんきらいな社会という汚い渦にのまれて、善と悪との境もわからないほどに混ざり合って溶け合って、何も云わぬ一輪の花のように、ぼくの心の淵で、つめたい風に揺れています。

Posted by Mist