日傘の少女と向日葵と

死にます、死にます、死にます、と、少女が三度つぶやいた。だけど少女は死にません。死なないのではなく、死ねないのです。死にます、というのは、空を飛べることです。自由ということです。
もっと意地悪にしてくれたら、全て投げ捨てることが容易くなるのに。ぼくは義理や人情なんてものに引きずられてこの苦しい毎日を今でも続けている。重くて重くて仕方がない。
ウイスキーを、日本の安物を飲んで、酔うのが寝るまでの習慣です。今夜はそれが、なくなってしまいました。新しいのをあけて、少し机にこぼしたのが、残念で。それぞれちょっと味がちがうけれど、ぼくの子供な舌には区別がつきません。
鶴瓶の家族に乾杯は温かい番組なので好きです。よく観ています。でも普段観るのには少し大人しすぎるので、酔ったときに観ます。今回は佐藤江梨子さんが来ました。我が故郷に来ました。素敵な女性です。明るくてはつらつとしていて、もし彼女がぼくの生活の中に少しでも関わりがあったなら、ぼくの人生は今よりずっと健康的なものであったにちがいないと、やはり思う夜です。考えてみれば、彼女に似ているひとが、いないでもないけれど、それを、彼女に重ね合わせるのは、その人自身の、ロマンや幻想を、何もかも踏みにじってしまうことのような気がして、ぼくには堪え難いことなのです。
賽銭箱に、五円玉ばかり放り込んでいた季節がありました。
ぼくがまだ今より幾分初々しかった頃です。
友達を誘って神社まで散歩して、誰もいない古ぼけたお宮の、賽銭箱に、五円玉を投げ込むのです。それは、五円玉でなければなりませんでした。しかし、何一つ、その意味は果たされぬまま何度も季節は過ぎました。
明日と明後日さえ、過ぎてしまえば夢だ。
明日と明後日が、ぼくには問題なのです。
毎日が、どうしようもなく問題なのです。
どうしてひとはみな、こんな日々を素知らぬ顔して送れるのでしょう。まるで地獄という気がしません。
みんな、たのしいのでしょうか。楽しいといえば、ぼくには、土曜と日曜と、それから…いや、それらも決して、全てが楽しいというわけではないのだけれど、それでも、それにしても、全てが、待ち遠しい。何もかもが、待ち遠しい。一体ぼくは、自分が何も待ち侘びているのかさえ、判らなくなった。
何かを待って、そうして、時が過ぎる。
年老いて、さよならの季節が来て。
ああ、何もかもが夢であったなら、どんなに幸福なことだろう。

Posted by Mist