真冬の異国にて

丁度あの夜は雪が降っていました。スーパーマーケットはアメリカみたいでした。客は少なく、品数は多く、ジュースとジャンクとドラッグを籠に放り込んで、帰り路は一度、信号に引っかかりました。雪の子供が青のチカチカを反射して、そっと死にました。緩い坂道を下ると、家につきました。ドアを開けて、沓を脱いで、柔らかい絨毯を足が押し潰して、障子の向こうの空から、まるい影がぼんやりと落ちて落ちて、台所では肉を焼く音がした。それは鶏肉だった。ぼくは何の宗教も信じちゃいない。牛でも馬でも構わなかった。だけど何故か鶏肉だった。クリスマスの売れ残りかしら。鶏肉は若い女のようにぼくを誘惑する音と匂いを上げ続けていた。覗いてみると、フライパンの上で身体を火照らせたチキンの彼女が、喘いでいるのが見えた。美味しくて美味しくて、タレの味がよく染みていて、大衆的な舌だった、当時のぼくには、たまらないごちそうであった。前歯に挟まった。ぼくは歯並びの悪さをコンプレックスにしていた。それからお風呂に入った。知らない草が浮いていた。薬のような匂いがした。頭を洗うときに、シャンプーが目にしみた。石鹸はときどきお菓子のように見える。夜は光に満ちていた。テレビでは芸人がげらげら笑っていた。ぼくは新しいシーツの匂いに顔を埋めた。暗闇を、画面の点減が明るくもさせた。芸人の笑いはもはやぼくには聞えなかった。ぼくは夜に抱かれているような気になった。ふいに、右翼の街宣車の音が響いた。けどそれはぼくの遠い記憶の不具合だった。夜はいかにも夜といった感じでしんとしていた。星の光るのが、何らかの音を立てているようにさえ感じられた。恋と経済とを、ごっちゃに考えるやつは、ロマンを知らない。パンケーキはやわらかく、虹は、虹。湖はいつまでも満ち足りていた。夜が明けるのより、ぼくの眠りにつくほうが、断然、早かった。夢と現実とは、そんなに、区別のないものなんじゃないかと思い始めた。ぼくはその頃既に、ひどい空想の病にかかっていたのだ。夢が現実であるならば、どんなに良いことか。けれど、夢を夢だと気付かなければ、それで、問題ないじゃないか。或る日銭湯の湯上がりに、煙突の煙を眺めながら、そう思ったものだ。その夜は湯冷めをした。そのくせ、ラムネなんて飲んでしまった。窓から触る宵の風と、月を映してあああの瞳のようにきらきらと、涙を湛えた少女のように、流るる川の景色を想いながら、やはり、パンケーキは、柔らかいと思った。

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夕方の話をさせてください。

夕方の話をさせてください。
私にとって、夕方とは、思い入れのある時間帯なのです。
子供の頃から、好きな時間帯は?と訊かれると、夕方だと答えていた憶えがあります。
朝は、慌ただしいし、夜は、臆病な子供だったし、夕方の、友達と遊んで、爪の間まで砂まみれにしちゃったりして、お別れする、あの淋しさ、家に帰るまでの、ほんの数分、ひとりの時間があるんです。ひとりで、団地を、歩くんです。そんな時、西の空には、いつも、夕焼けがありました。毎日、雲の具合なんかによって、違う見え方をするのです。そして、その、僅かな時間でも、刻々と移り変わっていくのでした。美しいものがあるんだなあ、そんな気持ちで見ていました。
黄昏時、逢う魔時、だなんて、素敵な呼び方もあります。夕方には、それくらい、人々の心にしみるものがあったのでしょう。
小学生の頃でした。私は、近所の、ひとつ年上の友達と、仲良くしていました。その友達の家は、両親の帰りが遅く、夕方には、いつも、彼の姉と、飼い犬だけしかいないものですから、私は、そこを、秘密の隠れ処のように、ときめきを持ちながら、放課後には通っていました。玄関を這入ると、彼の飼い犬が、駆け寄ってきます。動物に馴れていない私には、吠えられたりすると、怖いものもありましたが、始めソファーの背もたれにまでしがみついて、追い払ってもらっていた私も、そのうち、頭を撫でることくらいは、出来るようになりました。
或る時刻になると、私達の大好きなアニメ、らんま1/2が始まりました。このアニメは、私を虜にし、これを見ないと、毎日、終えられない、それくらい、重要なものでありました。
ふたりでわいわい云いながら、テレビに見入って、時には、彼の姉も交えながら、お菓子を食べたりもして、次第に茜色の陽がレースのカーテンを染め始めると、別れを告げました。
秋頃になると、ほんの少し離れた我が家へ戻るのさえ、肌寒い思いがして、それが、時計の進んだのを示しているようで、私は、家出娘に似た、後ろめたさを感じながら、ただいま、と帰るのでしたが、割に、ちょうど夕食前の時刻で、母はいつものように、おかえり、とエプロン巻いて台所から湯気越しに返すので、幾分、ほっとして、それもそのはず、毎日、同じ時刻に放送されていたアニメを観て帰るのだから、家に着くのも同じ時間のはず、ただ、季節のうつろいが、夜を長くしただけの話で、冬至夏至なんて言葉を知ったのは、少し後のことです。

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東京の夢を見たぼくは宙返りして雪になった

東京では雪が降ったらしい。というのも、今日は朝から家に籠もりっきりで、それも、ニュースやワイドショーなんて一度も目にしていないから、どんな状況なのかいまいち判っていないんだけれど、ツイッターで、雪だ雪だとつぶやいているひとがあんまりに多いから、なんとなく、雪が降ってるんだなあとは思っていた。
東京って、雪が珍しいのかな。私は南の方に住んでいるから、もちろん雪なんてほとんど知らないし、修学旅行で、長野に行ったとき、スキー場で初めてあんな銀世界なんてものが夢じゃないんだと思ったくらいで、だけど、東京って、基本、なんでもあると思ってた。夏には夏らしい風景が、冬には冬らしい風景が広がってるのが東京だと思ってたから、雪が降ったくらいで、こんなに騒いでるのも、不思議な気分だった。
それとも今回の雪は、災害級の激しいものなんだろうか。そんな矢先、東京に行った友人から連絡が来て、こっちは雪がすごい、なんてことを言って来て、吹雪でも吹いてんのかな、と思ったりした。
昨日の晩、まだ九時を回ったくらいだったかな、やけに眠気がしたので、自室の小さな炬燵にうずくまって寝た。やっぱり夜中には何度か目が覚めたけど、それでも、普段の私にしてみれば、よく眠れた方だと思う。結局起きたのが八時過ぎで、それから朝食に納豆食べて、そこまでは健康的だったんだけど、その後が問題だったんだ。食べ終わってからそのまま録画したテレビ番組を何本も消化して、まあ、昼頃になって、今度は昼食。また、納豆にしたんだけど、私は納豆が大好きだから、そこは問題ではないんだ。録画してた、最高の離婚っていうドラマを観た。最近始まったばかりで、まだ第一話だっていうんで、これから、観続けるかどうか、見定めというか、まあ眺めてたら、これが、面白かった。主人公が、卑屈な感じで、非常によかった。
二時頃かな、退屈だし、安売りで買っていたベーコンがあったので、丸ごとそのまま食べるっていう、贅沢な行いをしてみたくて、私はそれとウイスキーのおまけについていたグラスをおぼんに載せて自室へ上がった。それでグラスにウィルキンソンを半分ほどそそいでそこに程好く色づくくらいにウイスキーを落した。買ったばかりのI.W.HARPERとか書いてあるウイスキーなんだけど、私は銘柄のことはよくわからない。ただ、ステッキ片手にお辞儀してる紳士のシルエットが描かれていて、それは、好きだなあと思った。
それから録画していたドラえもんなんか観たり、浅川マキを聴いたりしながらベーコンつまんでたんだけど、気づいたらこんな時間で、まったく、一日の経つのは早いね。ほんとに。殊に休日は早い。普段、縛られた生活してるから、急に、自由だよって、そんな広い海に放り出されても、まず、何をしていいのか、うろたえるというか、それで、ようやく心決めたときには、もう半分終わってたりして。今回は三連休でしたけど、早かった。先週のうちは、早く週末にならないかなあ、なんて、週末何しようかなあなんて、待ち遠しくてさ、金曜日なんて浮かれ者だったよ。それなのに、あっという間に終わっちゃった。儚いね。仕事なんて週に二日で十分。人間は、もっと休むべきなんだ。本来は、自由に生きるべきなんだ。時々、わからなくなるよ。このまま、社会に押込められて生き続けていいのかなあ、なんて。けれども、ひとはみんな、そうやって生きて行くものだからね。洋画でかっこよく車飛ばしてるおじさんなんかも、いつもは、仕事してるわけなんだし。まあ、一度くらいは、人生に、映画みたいな出来事があってもいいと思うけどね。それもなしに死んだんじゃ、本当につまらない。一度くらい、夢みたいなこと、起ったって贅沢じゃないさ。それくらい許されないなら、本当に、おしまいだと思います。
それにしても、今日は、東京で雪が降ったなんて、うらやましい。いつか、私の部屋の窓からも、雪景色を見てみたいなあ。それより、東京に行った方が、早いかな。鎌倉も行きたい。よく知らないけど、素敵な場所にちがいない。そのようなささやかな望みを持って、明日から、また週末まで、私は私でなくならなければならない。私を殺して、ひとりの社会人となるのだ。それはとても、辛いことである。誰だって、少年のままが、一番良いのだ。少年が、何も知らない、馬鹿で、ちっぽけな存在だっていうなら、それは嘘だ。いいや、本当だとしても、それでも、少年時代より、輝いている時期は、ひとにはほかにないのだ。生きるためには、少年で在り続けることは許されないのだから、みんな、少年を殺して、立派な大人と呼ばれるようになるか、私のように、暗い籠に閉じ込めて、休日の間だけ、そっと、少年の自分と再会したりするのも、それも、いつまで続くかわからないけど。誰でも死ぬまで少年だというような気もするし、そうでない気もする。私がどんなに願っても、それを決めるのは、私でないのだ。家族でもない、友達でもない。世間でもなければ、もっと、大きな、目に見えない何かが、少年というものを生かしておくのだから、考えることは、もはや、意味がない。
どうか明日、たったひとつ、たったひとつだけでいい、それも、どんなにささやかなことでも構わない、私が、幸福だと思える出来事がありますように。それさえあれば、また、明後日も、生きられる。

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バイバイ、2012

今日は2012年最後の日です。
浮かれてるひとも多いだろうね。
年越しなんて、特別な気分がしてたのは、精々、中学生の頃までかな。小学生の頃は、夜更かしなんて知らない健全な少年だったから、家族が「年越しそば食べよう」って、日付の変わるまで起きてるのに、珍しく付き合おうと眠い目をこすっていたんだけど、全部食べないうちに、もう、眠っちゃうんだ。そんな時代もありました。中学生になると、夜更かしなんて毎日だから、年越しなんて、珍しいことにも思えなかったけど、テレビ番組なんかも、普段と違うから、ちょっと、日本中が一体となったようなわくわくがあって、それもまた、思い出。
ぼくはてっきり、年越しに、悪い気なんて、するはずないって思ってた。けれど、一年が、空虚になってから、年を越すのが、つらいんだ。周りのひとが、変わってくのに、ぼくだけ、愚かなまま。焦るんだ。やがてぼくは誰にも見向きもされなくなる。地元の同級生にも、結婚するやつだって、子供できるやつだって、きっといるだろうし、そんなの、考えられない。遠い話のように思えちゃう。だって、結婚って、ぼくら、つい最近まで、中学生だったはずじゃないか。どうしてそんな、上手に大人になれるんだ。おかしい、おかしい、幾ら考えたって、おかしい。かつてぼくのことを、必要と思ってくれていたひとも、まあ、忘れてくだろうね。だんだん、ぼくのことが、心の面積から減っていって、そして、なくなるだろうね。ぼくは、物心ついてから、出会ったすべてのひとを、まったく、忘れられずにいるのに、みんなは、忘れてく。それはぼくの人生なんて、絵本みたいに薄いから、憶えやすいってだけかもしれないよ。みんなは、学術書みたいに、ぎっしりと内容が詰まってるからさ、ぼくみたいな、最初の方の、ページの隅っこに載ってる、注釈みたいな、二度と見返す必要のないようなやつは、憶えられないには決まってるけどさ。ぼくは今でも、小学校のクラスメイトの名前を、そらんじることが出来るかもしれない。誰が誰を好きだったなんて、そんなことも、思い出せるかもしれない。けれども、町でいまぼくと逢って、ぼくだと気づくクラスメイトは、どれだけいるだろうか。いいえ、ぼくが変わったんじゃあないんです。始めから、きっと、憶えられていないだろうから、あんまり、変わっていないはずのぼくだけれど、きっと、判ってくれるはずがないんです。淋しいですね。
今夜でおしまい。今年もおしまい。どうやって過ごすかなんて、不粋な話はやめましょう。
ぼくは思い出の奴隷なんだ。例えば或るひとが、ぼくに、なにか、心に残る一言を掛けたとする。そしたらぼくは、長いこと、それに引きずられてしまうんだ。そのひとは、一週間もすれば、忘れるだろうね。けれどぼくは、ずっとずっと、何年経っても、気にしてる。だけどそれって、ぼくがおかしいんじゃないよ、だって、他に何にもないからさ、ただ忘れられないだけでさ、ぼくがそんなに過敏だとか、そういう話ではないんだ。思い出。男はまっすぐな道を歩いてるから、振り返ったら、昔のことが、すぐに思い返されるなんて、そんな例えが、あったね。
何はともあれ、ひとに忘れられるっていうのは、かなしい。どうか、ぼくのことを、忘れないでいてください。みなさん、どうか。ぼくはそれだけがこわいんです。ひとから、話しかけられたり、メールが届くだけて、嬉しいぼくなんだから、でも、自分から、話しかけたんじゃ、駄目だ。向こうから連絡とってくれるってことは、ぼくのことを忘れていなかったって、証だからね。それは、嬉しいにちがいないよ。ぼくは、自分から、ぼくを忘れたはずの相手の、新しい世界を破壊しに行くくらいなら、ひとりで構わないんだ。ふと、誰からでも、ぼくは誰だって嫌いじゃないから、どんな些細なつながりのひとであっても、一言、話しかけてくれることが、ぼくの一日を、煌めかせてくれる。あんまり書くと、恥を重ねることになるから、ここら辺で、やめとこう。

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Sentimental Christmas

私がまだ、小学生だった頃、雪の降るクリスマスがありました。私の住む町は暖かい場所ですので、雪なんて滅多に降らないんだけれど、降っても淡いもので、積もる景色なんて雪国だけのお話だと思っていたんだけれど、その朝は確かに子犬のように浮かれたものです。流石に脚の埋もれるほど濃厚な雪景色は拝めず、道の傍や公園をまだらに彩っているくらいの、ささやかな白模様でしたが、幼い私にはひとつ夢かなったくらいの一大事でして、茶色の混ざった不細工な雪だるま必死で作り上げて、玄関先に貧相に飾っておいたものです。
私がまだ、小学生だった頃、クリスマス会がありました。子供会と云って、各地区ごとに定められたグループのようなもので、一年生から六年生まで、比較的家の近い生徒同士はみな機会には集うのです。私は仲の良い幼馴染みふたりと、連れ立って公民館へ向かいました。入り口には、既に置き場を失った大小の靴が、下駄箱あふれて外にまで転がっていました。その頃既に私は高学年でしたので、恐縮することもなく群衆の中へ溶け込むことが出来ました。日頃遊ぶことのない、クラスの女の子もおりました。私は殊に女性の前では内気の炸裂するシャイボーイで、決まって彼女らと目を合わそうとはせず、男子生徒ばかりと戯れ合っておりました。それでも私の好きだった幼馴染みの女の子、ひとつ年下のその娘は、かつてもっと幼い時分に、物怖じせずいつでも賑やかだった私のことを、今はいっとき思春期特有の病にかかっているのだと、いまに元通りの快活な私が戻ってくるのだと、広い心で信じていてくれたようで、気の利いた台詞ひとつ云えなくなった不安定な私にも、以前と変わらぬ笑顔で取り合ってくれたものです。私はいつだって彼女の視線を気にしていました。例えば背後に彼女がいたならば、仲間との戯れにも自らの後ろ姿の様子について思案するばかりで、もはや仲間の話すらろくに聞けなくなる有様でありました。おんなじ空間に彼女がいるという時には、相槌のひとつも、声色に気を遣うのです。しかしそのように恋する相手と、何らかの関わり合いを持つことが出来るという時期が、どれほど嘘のようであったか、今では身にしみるようです。結句その恋が実ることはありませんでしたが、あの頃は、まるで恋にやぶれるなんてドラマチックなことが、自らに起こりうるなんて想像もしていなかったし、漠然と、ぼくは将来あの娘と結婚するに違いない、なんてしずかちゃんを想うのび太のような心持ちで日々過ごしておりましたので、世界にはまだぼくの知らないことがどれだけあるんだろう、と瞳輝かせていた頃から、平凡な幸福の在り方についてすら知る前に、世界の広さについて興味を失った今が、むしろ狭いとさえ思い始めた今が、悔しくて、情けなくて。
最近、時間の過ぎるのが、遅いんです。楽しい時間は早く過ぎると云うでしょう。私は、肌に感じる時間の流れは遅いんだけれど、一日の終わりには、早かったと感じるんです。一年も、あっという間です。つまり、何にもないんです。何にもないから、苦痛だけど、何にもないから、思い返す記憶もない。ほんと、真っ白ですよ、私の毎日なんて、真っ白な、雪のように、落ちてくるのは遅いけど、いざ、掌に載せると、たちまち、すうっと消えてなくなっちゃうんです。積もりきれない雪の私に、ホワイトクリスマスなんていう、ロマンスは、夢のまた夢。

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集団心理は渋柿のように口惜しい

横断歩道を渡ろうか、渡るまいかと、戸惑いがちの老婆がひとり。私はそれに気付いて車を停めた。ごく当然である。家族にそれを話すと、称賛されるだろうかと心躍らせていた私の思惑とは裏腹に、家族は怪訝な顔をした。
「危ないねえ。」
「お前みたいなやつが、事故の原因になるんだ。」

私は悪なのか。
正義と思っていたことが、とんでもない悪徳であったのかと、私の天地は逆さまになった。
「しかしお父様、法律でも、歩行者優先だと決まっているはずです。私は間違っているのでしょうか。」
「法律を守れば良いというものではない。それで危ない思いをすることだってあるんだ。」
「しかし、歩行者の気持ちを考えたことはありますか。歩行者にとって車とは、恐ろしいものなんだ。向こう岸の歩道が、宇宙のように遠く見えるんだ。それを、わかってない。車に乗ってるやつは、いい気になってるよ。自分が強くなった気でいる。歩行者なんて、虫けら同然だろうね。自分が痛くも痒くもないから、見て見ぬ振りで、ほんの数秒を惜しむ。寒かろう。あのお婆さんは、さぞ寒かったろう。朝のぼやけた時刻に、どこへ行くのか知らないが、大層な厚着も出来ず、ただ車の途切れるのを待っている。たった一台停まってやれば、お婆さんは救われる。我々のほんの何秒かを、譲ってやれば、それで済むというのに。それすら出来ないなんて。貧しいね。なんて貧しくなっちゃったんだ。何がどうとは云わないけれど、人間、こんなに貧しい存在に、成り下がっていいのかしら。私、はっきり言って、かなしいよ。」

父はあきれるような顔をした。

私は続けた。
「確かに、対向車は来ていた。狭い街道だ。私は何度もパッシングをしたのだが、停まる気配がなかった。この国は、人非人の集まりか。いつからこんなに落ちぶれた。」

見過ごすことも出来たけれど、私はやはり、それがミニスカートの女子高生でないからといって、見過ごせるような、鬼ではなかった。いやむしろ、鬼というべきか。世間がみんな、鬼ならば、それはもう、鬼なんかでない。それが人間で、私が鬼だと云うのだろう。

みんなが見過ごすそれを、見過ごさなければ生きられないと言うのなら、それは、世間の忌み嫌う、いじめとおんなじではないか。誰かが苦しむのを、踏み越えて生きなければならない。みんながそうしているから、痛みが薄れる、罪悪感が薄れる。そうして、薄まった薄まった焼酎のように、味気なく心あらずの、薬に似た依存性で以て、我々の良心を破壊する。私の正義は負けたのか。いいえ、そうではない。私は決して屈しない。世界で最後のひとりになろうとも、反抗することを、やめるつもりはない。

私は激しい嫌悪に髪を落とした。誰も認めてはくれないんだ。

今朝方のそんな苦い記憶を回想しながら、私は仕事場へ向かっていた。対向車が地獄のようにすれ違う。信じられるものはカーステレオから流れる尾崎豊の歌声だけでしかないと私は身を奮い立たせた。息が白い。ふと登校中の女子高生が目について、黒ストッキングの肉感が視線を盗んで、私は手元を狂わせた。気付けばもうあどけない顔した男児は絶叫を残して見えなくなっていた。

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もう少年は死にました

私は確かに早朝の、誰一人の足音もない、霧の深い時刻に起き上がって、玄関先で虫除けスプレーを全身に振り、サンダルをつっかけて出掛けていたのでした。
それはまだ私が小学校に通っている時分でした。大人は誰もそんな幼い冒険心に付き合ってはくれませんでした。前日の晩に約束していた父親も、布団の中で寝息を立てているのですから、ひとりで行くほか仕様がありません。
私は近所の公園の、囲うように植えられている木々を片っ端から揺さぶり、あの黒く艶光りしているカブトムシやクワガタの落ちて来るのを熱望していましたが、時々小さいのが一匹落ちて来るくらいで、図鑑に載っているような逞しいのは全く見かけることはありませんでした。それでも懲りずに毎日のように私は虫採りに出掛けました。
しばらくするとラジオ体操が始まるというのでみんなその公園に集まり始めます。私のように虫を目当てに少し早めに来ている親子も見かけました。ラジオ体操が終わるといつも公園に一番近い私の家先の石段に腰掛けて、近所の友達の二三人で話し込むのでした。公園からもすっかりまた人の声がしなくなると、私達は別れて、私は母の目玉焼きを焼く音がする家の中へと入るのでした。
中学校に上がった辺りからもうずっと私は朝が苦痛でなりませんでした。朝が来なければいいのにと毎日願っていました。それは夜更かしをするようになり、睡眠時間が足りなくなったのもあるかも知れませんが、それ以上に、何か精神的に、朝は嫌なものだという思いがいつもしていました。眠い目をこすりながら朝ご飯を咀嚼するというのは家が家でなく刑務所かどこかのように感じさせるのでした。私はいつから朝が嫌いになったのでしょう。
最近観た映画にやはり先程の、早起きして虫を採りに出掛けるシーンがあったのですが、それを観て私はふと思い出したのです。十年近くそのことを忘れていました。古い記憶が急激に色合を帯びて湧き上がって来たのでした。私にもそんな時代があったと。清々しい朝があったのだと。私は生まれつき朝が嫌いな訳ではなかったのです、むしろ好きでさえあった。それがいつからか憂鬱の種となっていました。そしてあの頃少年が不思議に思った、揺り起こすと気怠そうな、布団に横たわっていた大人に、私はいつのまにかなってしまっていたのです。
将来もし私に息子が出来たなら、彼は同じように夏休みの朝早くから虫採りに行こうと私を起こすかも知れませんが、それが彼にとって待ちに待った朝であるのに対し、私にとってはなんて煩わしい朝なんだと、きっと私が思うであろうことが、淋しくてたまりません。

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