もう少年は死にました

私は確かに早朝の、誰一人の足音もない、霧の深い時刻に起き上がって、玄関先で虫除けスプレーを全身に振り、サンダルをつっかけて出掛けていたのでした。
それはまだ私が小学校に通っている時分でした。大人は誰もそんな幼い冒険心に付き合ってはくれませんでした。前日の晩に約束していた父親も、布団の中で寝息を立てているのですから、ひとりで行くほか仕様がありません。
私は近所の公園の、囲うように植えられている木々を片っ端から揺さぶり、あの黒く艶光りしているカブトムシやクワガタの落ちて来るのを熱望していましたが、時々小さいのが一匹落ちて来るくらいで、図鑑に載っているような逞しいのは全く見かけることはありませんでした。それでも懲りずに毎日のように私は虫採りに出掛けました。
しばらくするとラジオ体操が始まるというのでみんなその公園に集まり始めます。私のように虫を目当てに少し早めに来ている親子も見かけました。ラジオ体操が終わるといつも公園に一番近い私の家先の石段に腰掛けて、近所の友達の二三人で話し込むのでした。公園からもすっかりまた人の声がしなくなると、私達は別れて、私は母の目玉焼きを焼く音がする家の中へと入るのでした。
中学校に上がった辺りからもうずっと私は朝が苦痛でなりませんでした。朝が来なければいいのにと毎日願っていました。それは夜更かしをするようになり、睡眠時間が足りなくなったのもあるかも知れませんが、それ以上に、何か精神的に、朝は嫌なものだという思いがいつもしていました。眠い目をこすりながら朝ご飯を咀嚼するというのは家が家でなく刑務所かどこかのように感じさせるのでした。私はいつから朝が嫌いになったのでしょう。
最近観た映画にやはり先程の、早起きして虫を採りに出掛けるシーンがあったのですが、それを観て私はふと思い出したのです。十年近くそのことを忘れていました。古い記憶が急激に色合を帯びて湧き上がって来たのでした。私にもそんな時代があったと。清々しい朝があったのだと。私は生まれつき朝が嫌いな訳ではなかったのです、むしろ好きでさえあった。それがいつからか憂鬱の種となっていました。そしてあの頃少年が不思議に思った、揺り起こすと気怠そうな、布団に横たわっていた大人に、私はいつのまにかなってしまっていたのです。
将来もし私に息子が出来たなら、彼は同じように夏休みの朝早くから虫採りに行こうと私を起こすかも知れませんが、それが彼にとって待ちに待った朝であるのに対し、私にとってはなんて煩わしい朝なんだと、きっと私が思うであろうことが、淋しくてたまりません。

Posted by Mist