バイバイ、2012

今日は2012年最後の日です。
浮かれてるひとも多いだろうね。
年越しなんて、特別な気分がしてたのは、精々、中学生の頃までかな。小学生の頃は、夜更かしなんて知らない健全な少年だったから、家族が「年越しそば食べよう」って、日付の変わるまで起きてるのに、珍しく付き合おうと眠い目をこすっていたんだけど、全部食べないうちに、もう、眠っちゃうんだ。そんな時代もありました。中学生になると、夜更かしなんて毎日だから、年越しなんて、珍しいことにも思えなかったけど、テレビ番組なんかも、普段と違うから、ちょっと、日本中が一体となったようなわくわくがあって、それもまた、思い出。
ぼくはてっきり、年越しに、悪い気なんて、するはずないって思ってた。けれど、一年が、空虚になってから、年を越すのが、つらいんだ。周りのひとが、変わってくのに、ぼくだけ、愚かなまま。焦るんだ。やがてぼくは誰にも見向きもされなくなる。地元の同級生にも、結婚するやつだって、子供できるやつだって、きっといるだろうし、そんなの、考えられない。遠い話のように思えちゃう。だって、結婚って、ぼくら、つい最近まで、中学生だったはずじゃないか。どうしてそんな、上手に大人になれるんだ。おかしい、おかしい、幾ら考えたって、おかしい。かつてぼくのことを、必要と思ってくれていたひとも、まあ、忘れてくだろうね。だんだん、ぼくのことが、心の面積から減っていって、そして、なくなるだろうね。ぼくは、物心ついてから、出会ったすべてのひとを、まったく、忘れられずにいるのに、みんなは、忘れてく。それはぼくの人生なんて、絵本みたいに薄いから、憶えやすいってだけかもしれないよ。みんなは、学術書みたいに、ぎっしりと内容が詰まってるからさ、ぼくみたいな、最初の方の、ページの隅っこに載ってる、注釈みたいな、二度と見返す必要のないようなやつは、憶えられないには決まってるけどさ。ぼくは今でも、小学校のクラスメイトの名前を、そらんじることが出来るかもしれない。誰が誰を好きだったなんて、そんなことも、思い出せるかもしれない。けれども、町でいまぼくと逢って、ぼくだと気づくクラスメイトは、どれだけいるだろうか。いいえ、ぼくが変わったんじゃあないんです。始めから、きっと、憶えられていないだろうから、あんまり、変わっていないはずのぼくだけれど、きっと、判ってくれるはずがないんです。淋しいですね。
今夜でおしまい。今年もおしまい。どうやって過ごすかなんて、不粋な話はやめましょう。
ぼくは思い出の奴隷なんだ。例えば或るひとが、ぼくに、なにか、心に残る一言を掛けたとする。そしたらぼくは、長いこと、それに引きずられてしまうんだ。そのひとは、一週間もすれば、忘れるだろうね。けれどぼくは、ずっとずっと、何年経っても、気にしてる。だけどそれって、ぼくがおかしいんじゃないよ、だって、他に何にもないからさ、ただ忘れられないだけでさ、ぼくがそんなに過敏だとか、そういう話ではないんだ。思い出。男はまっすぐな道を歩いてるから、振り返ったら、昔のことが、すぐに思い返されるなんて、そんな例えが、あったね。
何はともあれ、ひとに忘れられるっていうのは、かなしい。どうか、ぼくのことを、忘れないでいてください。みなさん、どうか。ぼくはそれだけがこわいんです。ひとから、話しかけられたり、メールが届くだけて、嬉しいぼくなんだから、でも、自分から、話しかけたんじゃ、駄目だ。向こうから連絡とってくれるってことは、ぼくのことを忘れていなかったって、証だからね。それは、嬉しいにちがいないよ。ぼくは、自分から、ぼくを忘れたはずの相手の、新しい世界を破壊しに行くくらいなら、ひとりで構わないんだ。ふと、誰からでも、ぼくは誰だって嫌いじゃないから、どんな些細なつながりのひとであっても、一言、話しかけてくれることが、ぼくの一日を、煌めかせてくれる。あんまり書くと、恥を重ねることになるから、ここら辺で、やめとこう。

Posted by Mist